Nikon F3/T + Ai Nikkor 50mmF1.4S。 この辺の前回の撮影は、2002年9月1日。
随分前に砂場が無くなったのだが、公園自体は残っている。 遊具は昔のままだ。 小さい頃、東京にしては大雪が降った時にここでかまくら(を目指したもの)を作ったっけか。片足ぐらいしか入らなかったが。
神明小学校跡地の校庭がえらい掘り返されていると思ったら、「遺跡発掘調査中」。 何か出たのだろうか?
港区の都営汐留アパートが近々取り壊しになるようなので、写真を撮りに。 住人は既にほぼ(全員)退去済みのよう。 結構老朽化が進んでいる感じ。
前回工事していた、JR 下のガード(新銭座ガード)も完成していた。小綺麗なガードになっちゃって。 昔は海岸通りまで抜けるかなり長いガードだったのだが、現在はゆりかもめの下までの短いものになっている。 汐留側の入口に、目を患った子猫。 ちょっと沈んだ気分に。
その足で有楽町まで歩いて、ビックカメラへ。 ここはアルバムコーナーがどんどん縮小されていくな。 友人の結婚式の写真をまとめるためのアルバムを探す。 80枚の次は160枚前後で、その間が無い。 160枚用でよさそうなのがあったので買い。
子供時代(1972年〜1987年頃)を過ごした港区の浜松町・海岸で当時の風景を探してみようと散歩してみた港区浜松町1丁目編。
子供の頃の私にとって浜松町1丁目のメインストリートは世界貿易センタービル前交差点から北へ伸びる道路でした。港区立神明小学校や学校の前の文房具屋さん、駄菓子屋などがある通りでした。
その道路の中ほどにあるのが金井医院。私は普段別のお医者さんのところへ行っていたので、ここに入った記憶はごくわずかしか残っていません。味わいのある建物は健在でした。
「はせべ」だったか「長谷部」だったかは不明。港区立神明小学校の校庭の角の斜め向かいにあった駄菓子屋です。2F ではたしか何かの教室をしていたはず。駄菓子・ガチャガチャ・ミリンダ・ドクターペッパー・ホームランバー・ピノ・銀玉鉄砲。昭和50年代がそこにはありました。
今はもう閉店してその戸は寂しく閉じられていました。
1969年に、現所在地にて創業とのこと。たしかここに同級生がいました。小学校至近が羨ましいロケーションでした。
我が母校である神明小学校は1995年3月に廃校になり港区立御成門小学校に統合されました。今は記念碑のみ。
港区立神明小学校の校庭の門があったところから西へ伸びる道には、左手前の角には以前文房具屋がありました。朝足りない物に気がついて登校の時に寄って買ったりしたものです。練り消しや千代紙などもここで買ったなぁ。
右手前の角にあったお店の店頭にはコスモスの赤い自動販売機があったんですよね。
そのお店の隣には、日用品店があった記憶があります。
そのさらに奥に見える緑のビルはアドビル。
建て替え前も同じように1階が駐車場のビルがありその上の方の階に友人が住んでいました。夏にはビル前にビニールプールを出してくれてそこで水遊びしてました。
向かいは第2長谷川ビル。今はガラス張りの外観ですが以前はタイル張りのビルでした。右手前がいい感じの階段になっているのでこの踊り場からジャンプ弾(ロケット弾)を投げていました。
隣の隣は東武ハイライン大門。隣のビルとの間の細いスペースを秘密基地に見立てて遊んでいました。隣にある駐車場では三角ベースをやったな。
先程の道の一本北側に細い道路がありました。その途中から北に進む路地の左側に生まれ育った家があり、同じ並びに父が働いていた木工所もありました。今は DaiwaA浜松町ビルの裏側にあたる場所だと思います。
写真右手の街灯の柱は昔からある記憶です。
路地の反対側から。
こちらも古くからあるビル。でも1977年竣工なので生まれた時はまだ建ってなかったんですね。
入口右側にあった小屋はとうとう無くなってました。
ここも子供時代から健在です。
2F の「明治パーラーマロンド 世界貿易センター店」健在。貿易センタービルができた当初からあるお土産コーナーのような売店もまだありました。改造社書店という名前なんですね。ここ。
Naney (なにい)です。株式会社ミクシィで SNS 事業の部長をしています。
nDiki は1999年1月に始めたコンピュータ日誌を前身とする Naney の Web 日記(兼パーソナルナレッジベース)です。ちょっとしたノートは nNote にあります。
※内容は個人的見解であり所属組織とは関係ありません。