18歳ぐらいのころに雑誌で素敵なお店を知った。 北海道にあるユーラシア404というお店で暗闇が売りらしい。 とても気になってそのページをスクラップしておいた。
松井オーナーと話しこむうちに、目の下を銀河鉄道の電車が通りすぎた。
「さあ最終電車が行きました。悲しさと闇のクライマックスは、この最終電車を見送ることなんですよ。わか店最高の売りものをお出ししたわけですから、これで閉店になります」と、オーナー。 -- マガジンハウス BRUTUS 1990年4月15日号 p.143
部屋を整理するたびにそのスクラップを見て思い出していた。 今日また目にしたそれはかなり黄色くなっていた。 今回はきちんとチェックしてみようと Web で検索してみた。
かなり落胆。ショック。
スクラップしたのがいつだったのかもついでに調べてみたら、マガジンハウスのBRUTUS 1990年4月15日号 pp.142-143 の 「ビジネス裏極意 第11回 魔法の店の闇 北海道・銭函 荒俣宏 (写真 樋口直也)」だったようだ。 もう15年か。
思い立ったが吉日。
いわゆる情報系の仕事をしている人で、プログラマからアーキテクトやプロジェクトマネージャーを経て、コンサルタントへというキャリアプランを持っている人は少なくないと思う。 また特にそう考えていなくても、気がつけばやっている仕事がそのような流れでシフトしていると感じている人も多いのではないか。
また明確に「コンサルタント」を目指していなくても、結局のところ計算機屋の仕事には多かれ少なかれはコンサルティングの要素が含まれている場合がほとんどであろう。
本書はG・M・ワインバーグ氏による、コンサルタントに関する有名な本である。日本語訳の本書が出たのは1990年なのでもう定番書の域に入っている本だ。 コンサルティングを行う上で、理解していなければならない要素が沢山つまっている。
文章はシニカルで、単純なハウツー本とは違う。読者がよく考えながら言わんとしているところを読み取り、会得する必要がある。
随所に書かれている法則につけられている法則名がワインバーグ氏の体験にもとづく名前で他の人(私)には覚えにくいのと、訳が直訳気味のせいかすらすらと読めなかったという点はあるものの、書かれていることは非常に核心をついたものばかりである。
「コンサルタント」「コンサルティングをする人」「コンサルティングっぽいことをちょっとでもする人」は読んでおいて損のない1冊である。
店頭や新聞広告などでたまに目にして気になっていたコンピレーションアルバム R35、朝のテレビでまた紹介されいたのが駄目押しになって、昼休みに買ってしまった。
内容は以下。
1972年生まれの自分はまさに、この世代。 収録されている曲が流れていた1991年から1994年頃といえば、高校卒業・浪人時代から大学3年生の頃までにあたる。 アルバイト先の有線放送で繰り返し聞いた曲や、彼女と一緒に見たドラマの主題歌などずばり記憶に残っている曲ばかりである。
シングルやアルバムで持っている曲もちらほら。 しかしながら「単独では買うほどではないけれど、コンピレーションとしてまとまっているならたまに聞きたい」という曲が集まっているという点で、持っていて悪くない1枚である。
[ CD アルバム ]
PRONTO 新橋駅店でアルバイトをしていた高校生の時(1989年から1990年頃)に、一緒に働いていたフィリピン出身のアルバイト仲間と SNS 上で再会。23年ぶりとかになるのかなぁ。彼が「人差し指と親指で L を作るとそれはリバティ(自由)を表すんだよ」って教えてくれたのが印象に残っている。
1986年のフィリピンの革命の時にアキノ氏が指で作ってたあれと同じ。でも今調べたらそちらは「ラバン」(タガログ語で闘争の意)らしい。あ、もしかしたら当時ラバンと教えてもらったのを、途中で記憶違いしていたのかもしれない。
元気でなにより。
SNS 業界で仕事をしているのいいなと思う瞬間。
この週末は特に忙しい予定なども入っていなかったのでふらり横浜でも行こうかということになったので、日本郵船氷川丸にいってきた。一般300円で見学できるのが嬉しい。土曜日にもかかわらずそれほど混んでいないのでゆっくり見学できた。
氷川丸はだいぶ老朽化しているなという印象。同じく公開されていた宗谷に比べても結構どんどん傷んできている感じ。1930年竣工から80年以上経っているのか。そんな中、機関室とエンジンは綺麗にペイントされなおされていて驚くほど綺麗になっていた。逆に綺麗になりすぎて油感が無く、これ本当に使われていたのかなという感じさえした。
見学したことがあったつもりだったんだけれども機関室を見たのは初めてな気がする。
覚えている範囲だと
1980年代後半だったか1990年前半だったかぐらいに、氷川丸で年越しをしたのは強烈に覚えていて、その後氷川丸船上ビアガーデンに1度来たような来ていないような記憶で、そういえばもしかしたらきちんと見学はしたことが無かったのかも。
中華街・山下公園・氷川丸を中心にぶらり。中華街はしばらくこないうちに中華街大通りに連なる店々が新しくなっていて、なんか再開発しました的になっていた。その分なんかちょっと均質化されたような。あと、なんかどこへ行ってもパンダ推しだった。中華街にパンダいるんだっけ?
とか思いつつもなぜかハワイアンのカヒコで買物してきた。
都民の日には会社でカッパのバッジの話をしたりするのですがほとんと通じません。私が小学生の時には学校を通して売られていました。写真のカッパのバッジは1979年のものなので私が小学1年生の時のものです。
カッパのバッジは1997年が最後の年だということで、そうすると1997年度の小学1年生は1990年度生まれですね。だとすると25歳以上の東京出身者なら知っていそうなものですが。終わりの頃は小学校では販売されていなかったのでしょうか。
都民の日はいつも近くなってから「休む予定にしておけば良かった」と思うので、来年こそは休もうと思います。……来年は土曜日でした。
Naney (なにい)です。株式会社ミクシィで SNS 事業の部長をしています。
nDiki は1999年1月に始めたコンピュータ日誌を前身とする Naney の Web 日記(兼パーソナルナレッジベース)です。
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